[著:しるこ]
今月開催される世界クラブワールドカップ。ヨーロッパからはマンチェスター・ユナイテッドが来日する。日本でも人気の高いクラブだが、そのマンチェスター・ユナイテッドの一員として朴智星が来日することを心待ちにしているファンも多いだろう。
今更語ることでもないが、朴智星は2000年から2002年まで3シーズンを京都パープルサンガで過ごし、オランダのPSVアイントホーフェンを経て、2005/06シーズン、マンチェスター・ユナイテッド(以下マンチェスターU)に移籍し現在に至っている。
マンチェスターUへの移籍は、誰もが驚いたニュースだった。私もその一人だ。ヨーロッパ最高峰の一つでもあるプレミアリーグ、そのトップクラブで、体の小さい彼がやっていけるとは想像もしていなかった。「無茶な移籍だ。」と思っていた。
しかし、彼はマンチェスターUで今現在、主力メンバーの一人として堂々たる活躍を見せている。27歳という一番いい時期を世界トッププレーヤー達に囲まれ、トップレベルでプレーをしているのだ。
朴智星のプロキャリアは、2000年の京都パープルサンガからスタートした。京都で3シーズンを過ごす間に、J2も経験した。
私が初めて朴智星という選手を見たのは、それより少し前、1999年9月、シドニー五輪代表の親善試合、日本対韓国の試合でのことだ。場所は東京国立霞ヶ関競技場。日本が4-1と圧勝した試合だ。
当時、韓国五輪代表を率いていたホジョンム監督(現在の韓国代表監督)が、22歳の選手中心で構成されていたメンバーに若干18歳の無名の選手を大抜擢して日本につれてきた。それが当時明知(ミョンジ)大1年の朴智星だった。
この試合で来日したメンバーには、朴智星と同時期に京都でプレーをしていた安孝錬(アンヒョヨン)を始めとして、現神戸の金南一(キムナミル)、現プレミアフラムに所属する薜[王奇]鉉(ソルギヒョン)、李東國(イドングク)等、後に代表として活躍した選手達が名を連ねている。
この試合で、朴智星は右だったか左だったかは記憶が曖昧なのだが、サイドのMFに先発で出場した(最後までプレーすることなく途中交代している)。
あきらかに他の選手達より身体が小さく、細かった最年少選手は何をどうしていいか分からず、相対した日本の酒井友之にいいように翻弄されていた。どうして彼が選ばれ、先発したのか、不満と失望が強く残った試合だった。
その年の暮れ、京都から朴智星獲得が発表された。
え、京都はいったい何を考えて獲得したんだろう、なんて思ったのが正直なところだ。こんな風に思ったことをもちろん後で猛反省したのは言うまでもない。単なるミーハーファンにプロの視線は一生分かるまいと当たり前のことを実感したものだ。
この後、朴智星には何度も驚かされ、たくさんたくさん、いい方に裏切られたことを付け加えておく。
こうして2000年の春、朴智星は明知大を休学し、プロのキャリアを京都でスタートさせる。
京都入団のたった1年前、水原工業高校卒業を控えた朴智星には、身体が小さかった故にどこからもスカウトがこなかったのだという。当時韓国でサッカー選手としてやっていくには、やはり身体が大きいことが条件でもあった。
そんなとき、たまたま欠員が出たということで、滑り込みで明知大への入学が決まったのだそうだ。
明知大は、過去多くのプロ選手を排出しているが、強豪校というよりは中堅あたりの安定したチームという印象だ。選手の個性を大事にしのびのびとサッカーをやるチームという印象を持っている。
実は、その親善試合以前、一度だけ朴智星がいた頃の明知大の試合を見たことがある。
1年生の朴智星は、試合に出場していたようなのだが、たぶん目立たない選手だったのだろう、残念ながら記憶にまったく残っていない。後日、その時撮影した写真に朴智星の姿がうつっていたのを見つけ、試合には出場していたということが確認できたに過ぎない。
つまりは、1年生からチームの中心で、目立つ存在で、という選手ではなかったということだろう。そんな選手が、ホジョンム監督の大抜擢から本当に短い期間で代表にまで上り詰めた。
そして、2002年ヒディンク代表監督の元で花開く。そこからの事はもう今更語るまでもない。
私自身、朴智星選手に直接接したことは一度もない。
直接グランドを走る姿を見たのは、京都のユニフォームを着ていた時、または代表ユニフォームを着ている時に過ぎず、その他は時々見るテレビの試合中継、雑誌、テレビなどのインタビュー、そんな限られた中でしか知り得ない選手だ。
しかし、その限られた中で見る朴智星は、常に謙虚であり、まじめであり、努力家であり、そして今も昔もぶれがない選手だ。
ここまでくるには、どれだけの苦労をしているだろうか、と思うが、彼は多くを語らない。
どんなにスーパースターになってもおごることなく偉ぶることなくメディアに接する姿。たぶんファンにも同じように接しているのだろうということが容易に想像できる。
それが朴智星という選手のすばらしさであり、成功を手にし、国を超えて多くに人に愛され目標とされる選手であることの理由だろう。
クラブワールドカップが徐々に近づく中、まだまだ若くて無名だった頃の朴智星を思い出し、ここに書き留めてみた次第だ。



マンUと言う超ビッグクラブでレギュラーではないにしろ主力選手としてやっている姿は本当に感動します。
「相対した日本の酒井友之にいいように翻弄されていた。」
と言うことは、朴智星は左サイドに入っていたのでしょうね。酒井はトルシエ時代はもっぱら右のアウトサイドで使われていましたので。その酒井友之が神戸を「戦力外」になったらしいと聞いて、他のクラブは絶対に獲得に動くべきだと思うんですけれど。
ただ、朴智星については、もっともっとその所属しているクラブの知名度からいっても報道して欲しい所ですよね、チームメートとどうやっているのか、とか、現在の状況に満足しているのか、と言うこととか。しるこさんはハングルをお読みになるかもしれませんが、私は読めませんので。
CWCで彼の勇姿をみたいですね。ぜひG大阪の選手と対決する姿がみたいです。
ありがとうございます。ここ最近右に入ることが多いのでいまいち自信がもてませんでした。
韓国のメディアも推測記事やゴシップが多く、実際はどうなのかがわからないのが正直なところ。
今回のCWCでの活躍を期待したいと思います。